

弁慶地蔵は、姫路市別所の旧山陽道に沿った静かな住宅街にある小さなお堂の中に祀られている。かつては子宝地蔵として賑わったと教育委員会の案内板にあるが、近隣の女性からの聞き取り調査で乳の祈願も行われていたとの地域の研究者からの情報提供があった。伝承であって記載された資料はないとのこと。
この地蔵は泡子地蔵ともよばれ、凝灰岩質の板石に地蔵坐像が刻まれており、天文4年(1536)の銘文がある。もとは佐土との境にある川の辺りに埋まっていたのをこの場所に移したものと現地の姫路市教育委員会の案内板にある。石棺仏*とのことで、新しい赤い前掛けをしておりとても大切にされているようだ。
弁慶の話は、次のようなものである。所用で京へでかけた弁慶が書写山に帰る途中土地の庄屋の娘と知り合い、ここで一夜を共にしたという**。地蔵には天文年間の銘があるので弁慶とは時代が合わないが、弁慶の恋のエピソードは歌舞伎「弁慶上使の段」で上演される有名な話なので、語り伝えられて後の地蔵と紐付けされたのかもしれない。
*石棺仏とは、古墳の石棺の一部に後日仏像を浮き彫りにしたものをいう。全国の石棺仏の90%は兵庫県にあるそうだ。
**兵庫県立歴史博物館サイト(乳の情報はない)https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/digital_museum/legend/story12/journey10/
写真と情報:森原宏明氏(『別所史』主筆)提供