打穴西にある榊葉神社の境内社3社のうち、向かって右端が乳呼神社で、乳の伝承が伝わる。奉納された乳型と竹筒がお社の外壁にかけられている。竹筒は一本の竹の両端で筒を作って2本並べるもので、本殿にも同じものが多数奉納されている。各地の資料に奉納物として竹筒と記載されている場所はいくつかあるが、現物が残っているところは珍しい。
もとは打穴中(うたのなか)にあったが、明治43年(1910)に合祀され、元の名称「乳塚さま」でも呼ばれている。
3種類の伝承がある。
その1: 雪の中で行き倒れた巡礼にまつわる話。
その2:後醍醐天皇が隠岐へ流される時、後を追っていた妊娠中の女官が山賊に殺害された。赤ちゃんを助け出した従者が母を埋葬した塚の前で祈願したところ、養育を依頼した村の女性の乳が出るようになった。
その3:後醍醐天皇への忠義で知られる児島高徳(こじまたかのり)の弟高継の妻は妊娠中であったが、高継不在中に山賊に殺され埋められた。土中の赤ちゃんの泣き声を聞きつけた高継が赤ちゃんを助け、妻を悼んで作られた塚は、乳を呼ぶ泣声ということで「乳呼」と呼ばれた。
打穴中にある合祀前の乳塚さまの説明板と「美咲郷土かるた」のサイトには1、『久米郡誌』には2、『中央町の地名考』には3つ全部が掲載されている。
山陽新聞:生きている民間信仰66「乳呼神社」1988年10月31日版
久米郡教育会:久米郡誌、久米郡教育会、1923年、p73〜74
中央町文化財研究会:中央町の地名考、中央町文化財研究会、1991年、p358〜360
ブログ「紀行歴史遊学」 https://gyokuzan.typepad.jp/blog/2020/06/乳塚.html
サイト「アットタウンWEBマガジン:美咲郷土かるた」https://afw-at.com/page.php?id=217
写真:奥 起久子撮影(2023/4/8)
資料と情報提供:榊葉神社、美咲町役場みさき共創室