「福山市ウォーキングマップ〜幕山史跡巡りコース2018年3月版*」に「乳もらい地蔵」として紹介されている。今は全くの住宅地になっているが、昔は畑が広がる丘陵地帯で、海に近い大門から幕山を抜けて坪生地方に通じる道がこのあたりを通っており、道端にこの地蔵が祀られていたという。
字畑といわれた場所で、畑の地蔵とも、子やしない地蔵とも呼ばれたという。農民が海の磯物取りや湖水汲みの帰りに一休みして(辻堂があったのではとのこと)、お地蔵さまに手を合わせて安産や子どもの健やかな成長を祈ったという情報が、地元の団体がまとめた小冊子『まくやまぶらりさんぽみち』『ぶらり探訪 幕山を歩く』にある。
団地が造成されたため、昭和59年(1984)に墓地の中に移されたが、地元の方々によって新しいお花があげられ、綺麗に管理されている。
幕山学区ふれあい事業推進委員会:まくやまぶらりさんぽみち、2002、p5
備陽史探訪の会:ぶらり探訪 幕山を歩く、2018、p5
「福山市ウォーキングマップ」*ここの写真はそばにある六地蔵で、乳もらい地蔵ではない
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/uploaded/attachment/121871.pdf
写真:奥 起久子撮影(2023/4/9)
資料:小川進一郎氏(福山市在住)提供