父木野荒鍔の協和方面へ通ずる道と県道417号線との分岐点に、火別れ地蔵と言う地蔵が祀られている辻堂がある。参拝すると安産となり、母乳がよく出るようになるという話が『三和町散策』にある。備陽史探訪の会 デジタルライブラリーには乳の祈願の情報はなく、安産と耳のご利益とある。
すぐ近くに民家は見当たらないが、近隣の数戸の住民が管理しているとのことで(『三和町誌』)、お堂には五色の布がかかっており、中には多くの奉納物や新しいお花が備えられ、大切に管理されていることがわかる。
名前の由来については次のような伝説があるとのこと。むかし近くの村に火遊びの好きな坊さんがいた。この坊さんが亡くなった後、村人たちは供養のために地蔵を作って祀った。ところがその村にはその後火事が絶えず、地蔵のせいではないかと考えた村人たちは、その地蔵を村送り(村外追放)にしようと村境のこの場所に移した。以後火災がなくなったので火別れ地蔵と呼ばれるようになったという(『三和町散策』「備陽史探訪の会 デジタルライブラリー」)。
松井正夫:三和町散策、びんご出版、1997、p126〜127
備陽史探訪の会 デジタルライブラリー:神石郡三和町探訪、1984年4月28日、p7https://bingo-history.net/archives/8758
写真と資料:神石高原町教育委員会提供