逢坂観音堂に安置されている十一面観音は、百人一首で知られる二条院讃岐がここで乳人に再会したという伝説 にちなんで昔から「乳観音」「乳もらい観音」として近郷の人々から厚く信仰されてきたという記載が、宇部市公式サイトと宇部市教育委員会作成『船木史跡マップ』で紹介されている。
『周防長門の生活誌』には、乳の祈願には、白米を持参してお堂の裏の井戸(現存)の水でとぎ、といだ白水は溝に流し、お米は仏前に供えて読経してもらって護符をいただく、お礼には白い布の乳型を奉賽物として持参し拝堂の上に掲げた、と書かれている。地元の年配の女性は、この場所の乳の祈願のことはよくご存知だった(2024年4月取材)。
十一面観音は行基の作とも伝えられており、高さ105.8cm、桧材の一木造りで平安時代後期のものと考えられており県指定有形文化財。昔この地にあった善福寺の本尊で、秘仏とされて20年毎の開帳だったが、現在は毎年開帳されている。
逢坂観音堂の前を昔の山陽道が通っている。難所を選んで石を敷き詰め棚井山田石畳道を作ったという江戸時代末期の人・千林尼はここの堂主であったことでも知られ、千林尼の墓はここにある。
松岡利夫:ふるさと叢書1 周防長門の生活誌、山口県教育会、1976、p116
楠町文化財保護審議会:わが町の文化財と文化遺産、楠町、1994、p54
宇部市公式サイト https://www.city.ube.yamaguchi.jp/kyouyou/rekishi/library/1003997.html
宇部市教育委員会作成「船木史跡マップ」https://www.city.ube.yamaguchi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/067/hunaki.pdf
写真:奥 起久子撮影(2024/4/21)
資料:中村 久氏(下関市立豊北歴史民俗資料館)提供