厳島明神社は田耕地区にあった古くからの神社。ここの乳池の清水に自分の姿を写して念じ、お祓いを受けたあとで水を替えると乳が出るようになると言う話が『ふるさと豊北の伝説と昔話』にある。地元に伝わる「浜殿祭田耕神幸絵巻」には、「此処ニ乳ノ池有乳ノナキ者池ヲサラエテ霊験アリ」とある。地元には水を飲むと乳が出るとも伝わっていたそうだ。
乳池には元寇にまつわる次のような伝説がある。蒙古軍司令官の阿金(あかね)はこの近くで日本軍に打ち取られ、それを見た奥方の桂玉は生まれたばかりの赤子を残して後を追った。残された男の赤ちゃんは、厳島明神のおつげにより地面に刺さっていた脇差を抜いた穴から湧き出た水を乳がわりにして育った。そこでこの湧水が「厳島の乳池」と呼ばれて乳の祈願がなされたという(『浜出祭』より)。
厳島明神は市杵島姫神(いちきしまひめ)を祀る。昭和29年(1954)に少し離れた場所にある田耕神社に合祀し、社殿はない。現地には厳島社と書かれた鳥居、3段の石垣があり、上の段には厳嶋大明神と彫られた石額が、下の段には社殿跡の小さいお社が残る。池は水量が少なく水溜まり程度であるが、側に「ちゝ池」「大正元年」と彫られた石柱が立っている。
なお3kmほど離れた豊田町殿居にある同じ名前の厳島明神社は姉社で、こちらが妹社だったとのこと。
浜殿祭田耕神幸絵巻、豊北町立歴史民俗資料館蔵(実資料は閲覧不可)
豊北町教育委員会:浜出祭、豊北町教育委員会、1983、p84
豊北民話集編集委員会:ふるさと豊北の伝説と昔話 第2集、豊北民話集編集委員会、2004、p1〜6
ブログ「九州神社紀行―田耕神社」http://nobyama.com/tasuki.html
写真:奥 起久子撮影(2024/7/6)
資料提供:豊北町立歴史民俗資料館 大翔館