鎌倉時代に北条時頼(最明寺入道)がこの地に来た際に錫杖で掘ったと言われる湧水・夜鳴迫の鎌倉ぜみがあり、この水を飲むと乳の出がよくなると言われて、昭和の中頃までは赤ちゃんの年齢や名前を記入した小さな旗が周囲に何本も立てられていたという話が『三保の文化』にある。
地図には、近くに乳観音という文字も書き込まれている。そばに弘法像を祀ってあったという庵があったそうだが崩れて現存していないとのことで、湧水も現在藪に覆われていて特定できないそうである。
この情報については少し混乱があり、別に「鎌倉井戸」(乳もらい井戸)として紹介されている場所が中津市下池永にある*、**。しかし資料『ふるさとの歴史(1979)』によると、ここは最明寺入道ではなく弘法大師が関係する命の泉という場所とある。サイトでは乳の出を願う女性がお参りすると記載されているが、乳の祈願の話は資料にはない。
資料で「鎌倉井戸」と確認できる場所は、『ふるさとの歴史(1985)』によると別にある。下池永の上記の場所からあまり遠くない場所で、地元では「鎌倉さんの六角井」と呼ばれているとのこと。最明寺入道が錫杖で掘った湧水と言われて、地元の方々によって綺麗に管理されている。井戸が六角形であることや、男女が肩を並べた珍しい石仏が祀られていることも資料に合致している。しかし乳の祈願の記載はないので、ここと2つ目の場所の情報全部が取り違えられているわけではないようだ。
乳の祈願が資料で確認できるのは「夜鳴迫の鎌倉ぜみ」だけであるが、そのほかの場所に乳の祈願の伝承が伝わっていないかどうかは確認できていない。
この3カ所の情報は上記のように混乱しているようなので、3か所全部を紹介した。
*ジモッシュ:地域おこしのサイト https://zimosh.com/feature/yosaroh20200216
**河野 忠研究室ホームページ 大分の名水 http://es.ris.ac.jp/~kono/h.html
三保の文化財を守る会:三保の文化 上巻、2000、p219〜220 夜鳴迫の湧き水(鎌倉ぜみ)
中津市政50周年記念史刊行会:ふるさとの歴史、1979、p202〜203
中津市:ふるさとの歴史、1985、p48〜49
写真:河野 忠氏(立正大学)提供
資料提供:中津市歴史博物館