

有乳山(うにゅうさん)を登っていったところにある岩屋寺(いわやじ)。延宝4年(1676)姫路城主松平直矩の嫡男が生まれた時、ここの毘沙門天から乳を授かったとして「有乳山」の山号が贈られたという話が姫路市教育委員会の現地案内板と『ひめじ明治のかたりべ集』にある。
現地の「有乳山岩屋寺由来」に次の記載がある。「我は(略)毘沙門天なり汝児に与ふる乳なきを患ふるや久し我之を憐み救護せんが為に来れり今より以後汝が所求をして満足せしめ且つ長く児が武運長久を守るべしと告げ給ふかと思へば是南詞の一夢なり宮内奇異の感にうたれ我乳房を見るに己に乳汁溢れ出たり」
岩屋寺は大化元年(645)法道仙人の開基と伝えられる天台宗の古い寺院。一時は六院十八坊を誇る隆盛をみたが、天正5年(1577)別所吉親に攻められて全焼。その後復興され、姫路城の鬼門にあたるとして代々城主の厚い信仰をうけた。本尊毘沙門天は国の重要文化財である。本堂は突き出た岩の下につくられていて、寺の名はこれによるもの。周囲には桜、つつじなどが数多く植えられ、とりわけ花の季節は美しい。
ひめじ明治のかたりべ集委員会:ひめじ明治のかたりべ集(下)、1979年、p43〜45
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写真:内岡 恵撮影(2023/4/4)