温泉津町西田の山の中にある地蔵尊。地元の人たちが米の粉をサラシの袋に入れて供え、乳が出るように祈願していたという。昭和30年(1955)くらいまでは盛んに行われて、地蔵前に生花、供物、香煙が絶えなかったと『温泉津町史』にある。また地元の年配の人の話として、昭和40年代頃まではお参りする人が多く、毎年お盆には麓の民家に移してお祭りをしたという話が個人のブログにある。
地蔵は、西田集落から飯原へ抜ける山道を登る途中、険しい坂根坂を八分目ほど登ったところの山道脇の大きな岩盤を少しくり抜いた場所に祀られている。丸顔の石の地蔵で、左手におくるみに包まれた赤ん坊を抱いている。右手に持っているのは哺乳びんのように見えるので、比較的新しい時代のものではないかと思われるが、詳細は不明。
坂根坂は以前は行商人が行き交う道だったが、近年道路・福光西田線が整備されたため誰も訪れなくなり、今はアクセスが難しいのではないかという話が資料やブログにある。
西田地区は石見銀山街道の途中にある集落で、昔は「西田千軒」といわれ街道の宿場町として繁栄した。この地に伝わるイネの束を干すためのヨズクハデは、民俗文化財として国に選定されている。
山田 隆:温泉津町の伝説、温泉津町教育委員会、1970年、p35〜36
温泉津町誌編さん委員会:温泉津町誌 下巻 民俗編、温泉津町、1995年、p694〜695
島根県教育委員会:歴史の道調査報告書 銀山街道、1996年、p13
多田房明:銀山街道ガイドブック、大田市外2町広域行政組合、2002年、p14
石見銀山〜地元人の独り言一人旅〜 https://gamp.ameblo.jp/from-iwamiginzan/entry-12503490220.html
写真と情報提供:多田房明氏(銀山街道ガイドブック監修者)