街外れの加茂川の側、畑地の中の鎮守の杜にあり、訪問時には椿の花が満開であった。明治時代以前には「乳釈迦さま」の愛称で呼ばれ、母乳がよく出るようになる神として妊産婦の信仰が篤かった、と岡山神社庁のサイトにある。
江戸時代に編纂された『作陽誌』には、「元禄十四年(1701)正徳三年(1713)の軒札には陽地神社大明神とあり神号の由来不詳或乳の少なき婦人祈りて験有とて参詣多し地釈迦の地を乳と取れるなるべし」との記載がある。
この場所の奉納物について記載された資料は見ていないが、本堂の中には大きな乳絵馬、沢山の立体乳型絵馬のほか、本州では珍しい小さな乳型を繋げた奉納物が吊るされている(2024年4月取材)。
陽地神社はこの地域の氏神さまで、創建年代や由緒等が不詳であるが、ご祭神は伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)大神で、多賀大社よりの勧請と言い伝えられている。
岡山神社庁公式サイト https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/16988/
サイト「津山瓦版」 https://www.e-tsuyama.com/report/2015/03/2014926.html
正木輝雄:再版 作陽誌 中巻、日本文教出版、1963年(初版1913年)、p70〜71
https://dl.ndl.go.jp/pid/3027819/1/58
写真:奥 起久子撮影(2023/4/8)