薬師寺ご本尊の薬師如来は昔から乳薬師として有名で、近在は勿論遠くは京阪地方から多くの母親が乳の祈願のため参詣したと、広島新四国八十八ヶ所霊場サイトとその『巡拝の手引き』に記載がある。
サイトの縁起によると、この薬師如来は行基の作と伝えられており、一本の木から3体の仏像を作成、上部の一体は一畑寺(現一畑薬師)に、中部の一体がここにあるもの、下部の一体は信州の寺にという伝承があるとのこと。秘仏で開帳は61年毎とされている。
大竹市歴史研究会サイトにも、乳の祈願が盛んに行われたという記載がある。
薬師寺は山号を神楽山という真言宗の寺院。創建時期は不明だが、至徳年中(1384〜1387)には経塚という場所にあって西福寺という名前で呼ばれていたという。江戸時代になって毛利家の祈願所となって現在の地に移転したということが縁起にある。広島新四国八十八ヶ所霊場の4番札所。
御詠歌は乳薬師の乳の出のご利益について詠まれたものである。「ひのもとの/さんだいやくしは/ちちやくし/かぐらのやまに/りやくとうとし」
霊場会理事会:広島新四国八十八ヶ所霊場 巡拝の手引き 改訂版、霊場会事務局、2020
新四国八十八ヶ所霊場サイト http://88-henro.com/index.php/no004/
大竹市歴史研究会サイト http://otake-history.halfmoon.jp/localhistory/otake/薬師寺(元町)/
ブログ「広島ぶらり散歩」 http://masuda901.web.fc2.com/page05kx26.html
写真:奥 起久子撮影(2024/4/21)