浦山集落は浦山川を遡った一番奥の集落である。さらに上流の淵のそばに奥姫神社という小さいお社があった。乳母御前社と呼ばれ乳の祈願が行われた話が『愛媛県史』にある。地元の人は乳神さまと呼んでいたそうだ。淵の水を汲んでお供えした後で飲むと乳が出たという話が『土居の昔ばなし』や愛媛県神道青年会サイトにある。
お社は間口2間ほど、周りに石灯籠や手水鉢があり、道を隔てた淵の側に水を汲むための釣瓶や桶もあって、外壁には綿を詰めた乳型が掛けられていたという話を、現地の方で『土居の昔ばなし』編集委員でもある川上義朗氏からお伺いした(2024年4月取材)。
管理している土居神社前宮司からも、乳の祈願についての話が伝わっているという情報提供があった。
戦国時代末期のこの地方の武将・薦田備中守の娘である奥姫の乳母が、姫が育たず亡くなったのを苦にこの渕に身を投げたので、里人がこれを悼んで祠を建てて祀ったという。
昭和63年(1988)にダムができたためお社はなくなり、20mほど上に婆御瀬社と彫られた祠の形をした石像物が新しく作られ、周りに移転の経緯を記載した石碑や東屋風の建物が建てられている。
水と関係がなくなったので、愛媛県神道青年会サイト上の名称は「乳母御前神社の清水」から「乳母御前社の乳神さま」に変更された。
愛媛県史編さん委員会:愛媛県史 民俗(下)、愛媛県、1984、p298
https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/50/view/6602
土居の昔ばなし編集委員会:土居の昔ばなし、土居町教育委員会、1997、p45〜48
愛媛県神道青年会サイト「愛媛の神々」https://ehimeshinsei.net/archives/shrine/shikokuchuou/page/2/
写真と資料提供:三宅 威氏(暁雨館)(2024/4/4撮影)、愛媛県神道青年会