菊池市の郊外にある小さなお社で、小川のそばの林の中にひっそり立っている。源 為朝の妻と6人の子どもが祀られているという。『菊池郡市神社誌』によると、昔から幼い子どもの守り神として敬われ、乳の出の祈願と小児痘疹の軽症化を祈願して遠近からお参りに来たとある。
謂れについて、同書に詳細な記載がある。為朝は平安時代末期の武将で、鎮西八郎とも言われるように九州地方を平定したという人だが、その際に阿蘇地方の坂梨に住んで阿蘇氏の娘の花依姫を妻にした。花依姫は3男3女を産んだあと亡くなり、後妻に疎まれた子どもたちは、刺客の矢で殺されたという。
また一方、子どもを連れて為朝の後を追った花依姫が為朝に会えないことを悲観して、子どもと一緒に滝に身を投じたとも書かれている。
神社は貞応元年(1222)に菊池隆定が建立したもので、現在の建物は昭和38年(1963)に本殿を改築、拝殿を新築したものとのこと。
七坪産(ななつぼうぶ)神社の七坪は以前のこの地区の集落名である。7本の矢が留まったということに由来しているとか(子どもの数だと6だが、白犬が出てきて矢を受けたので7とのこと)、神社から50mほどの崖の中腹に、その時の矢が生着したという矢竹が数十株叢をなしているという話が資料にあり、この地区で多くの物語が語り伝えられてきたことがわかる。
菊池郡市神社誌編纂委員会:菊池郡市神社誌、熊本県神社庁菊池支部、1967、p142〜144
写真:石井真美氏(小児科医)提供(2023/2/26撮影)